オカダの言葉

カタール戦から3日が経った11月22日。
岡田とオシムは三ッ沢球技場で、FC横浜とベガルタ仙台の試合を観戦している。

ばったり出会ったのではないでしょう。
会う必要があった。

志なかばにして病に倒れたオシムと、そのオシムが手塩にかけたチームを引き継い
だ岡田の間に、本来なら師弟関係に似た感情が生まれてもおかしくはない。
しかしここまで、まるで敵対感情があるかのように、同じスタジアムに現れてもすれ
違いを繰り返していました。


オシムが納得していないのか、岡田が意識過剰なのか。
それとも協会内部に岡田派とオシム派の対立でもあるのでしょうか。

なにか不自然。

でもこの日は違った。
同じ部屋で並んで観戦している。
オシムはカタール戦の勝利を祝福して「女房には止められたけど、起きて生で観た」

「仙台の梁勇基を代表に呼ぶべき」などと、おどけて話したらしい。
それに対して、歓談の内容を問われた岡田は「言葉が通じないから挨拶しただけ」と、
ここでもそっけない。
並んで観戦しているのに、それはないでしょう。

12月6日、Jリーグの最終節。鹿島はJ2落ちが決まっている札幌に、1対0で勝っ
て優勝を決めた。

昨年の浦和の二の舞にはならず二連覇。
降格争いも札幌以外は最終節に持ち越されている。
ジェフ千葉、ヴェルディ東京、ジュビロ磐田の3チームが、自動降格圏からの脱出を
賭けて戦った。

降格に一番近いジェフは、FC東京を相手に勝つしかない。
しかし後半8分に2点目を失って、J2行きがほぼ確実になる。
ヴェルディも、磐田も前半は0対0で持ちこたえている。

ところが、ところが、ここから思いもよらぬ展開を見せた。
ジェフは後半29分、途中出場の新居辰基がゴールを決めると、6分間で3得点を
奪って逆転、終了間際にダメ押しの4点目まで奪い取って勝利した。
逆にヴェルディと磐田は、後半に失点を許して万事休す。
ヴェルディが自動降格、磐田が入替戦、ジェフは見事な逆転脱出劇を演じた。


12月11日、協会は12月末で切れるオシムとのアドバイザー契約を更新しないと
発表した。
オシムは静養のためにオーストリアへ帰国するらしい。

12月26日発売の「週刊現代」に「オシムを弄んだ日本サッカー協会」という木村
元彦の記事がある。
確かに協会とオシムの関係は「失言で始まり、不意打ちで終わった」
そのうえワールドカップの出場権を失えば「失言で始まり、失態で終わる」ことにも
なる。
しかし「ベンチに座りたい気持ちはあるが、ベンチで死にたくない気持ちもある」と、
オシム自身が迷っているなら、妥当な着地かもしれない。
ファンも声高に復帰を願わないのは、健康状態を配慮しているからでしょう。

それなら協会の判断に不備が無かったのか?
そんなことはない、この結末の予感はあった。
川淵はオシムが倒れた4日後に、
「後任に関しては意識の回復を待って、オシムの意見を尊重する」
「11月中に回復しない場合は後任人事に着手する」と明言しています。
しかしその6日後、その月の26日に岡田へオファーを出します。

この時点で協会は、既にオシムを弄んでいる。

そして岡田へオファーを出した翌日に、オシムの意識が戻ったことを公表する手口まで
使って、協会はなぜ「オシムの意見を尊重する」という発言を反故にしたのでしょう。
オシムの意見を待てば「岡田」の名は出てこない。
協会は迅速な対応をしたように見えますが、以前からオシムの真摯な姿勢が、協会の
甘い体質を浮き彫りにするのを嫌っていたはずです。
オシム排除の力が働いたか、単に予期せぬ状況下で焦って判断を間違えたか。
まさかいまだに外国人監督を嫌う勢力が、協会内部にある分けではないでしょう。

オシム路線を分断したのは協会自身です。
岡田で失敗したときの捨石が、オシムのアドバイザー契約だったのでしょう。
これではオシムが、岡田の目の上のたんこぶになってしまう。
そして岡田と心中する気なら、当然捨石はいらない。
協会側からすれば、当然の成り行きです。

問題は、協会が本気でオシムにアドバイスしてもらうことを望んでいなかったこと。
契約を更新せずに、その分析力、理解力、指導力、多くの情報、多くの人脈、次に

発せられる多くの言葉を捨て去ったことになる。
協会はジェフからオシムを奪い取り、今回はサッカーファンからオシムを奪い去った。


私としては、契約書に目を通さずに監督を引き受けるオシム流を見習って、アドバイ
ザー契約が切れても、いつまでもアドバイザーとしてオシムに注目し続けるだけ。
オシムもその役目を果たしてくれるでしょう。
そして、少しは今年のジェフのような逆転劇が、監督人事でも起こることを期待して
いる。


話を冒頭の三ッ沢球技場に戻そう。
そこでオシムは「オーストリアに戻るが、頑張ってくれ」と岡田に伝えたに違いない。
今から考えれば、カタール戦後の「オシムさんがやってきたことがいい方向に向かって
いる」という中村俊輔の言葉も、オシムにたむけられた言葉だったのでしょう。
果たして岡田は、オシムにどんな言葉をかけたのでしょうか。


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